久保真先生 2015.04.28

関西学院大学経済学部教授

 なぜ英語を勉強するのでしょうか。受験生のみなさんにとってこれは全く愚問でしょう。英語は重要な受験科目なのですから。では、大学生になるとどうでしょうか。確かに、多くの学問分野では英語でインプット&アウトプットをしないことには最前線で活躍することはできませんから、アカデミックな世界で生きていくことを志向するなら、英語は必須でしょう。国際的なビジネスでも然りです。でも、全ての大学生がアカデミックな世界へ進むわけでも国際的ビジネスに従事するようになるわけでもありません。むしろ、日本社会では圧倒的多数の人が英語なしで生きていける、というのが現状です。

 私が考えるに、英語を学習することの最大の効用──すなわち、圧倒的多数の人にも及ぶような効用──は、母語である日本語を客体化・対象化できるようになることです。学習当初は、語彙はもちろん文法や発音などの違いに目が奪われてしまいがちですが、むしろ興味深いのは、英語における論の運び方──広い意味での「論理」──が日本語のそれとは大きく異なっていることです。よく「日本語の文章をそのまま英語に訳しても、何が言いたいかよく分からない」などと言われるのは、そのためでしょう。無論そうした英語独自の「論理」は、ネイティブにとって血肉というか当たり前のものなのですが、そうでないものにとってはさまざまな解析方法を駆使しながら意識的に習得しなければならない、よそよそしいものです。しかるに、そのような英語独自の「論理」が分かり始めると、逆に、母語であるはずの日本語があたかも外国語のように感じられる、というとちょっと言い過ぎかも知れませんが、母語の特性(長所や弱点)が以前よりもハッキリと意識できるようになります。これが上で言う客体化とか対象化とかの意味するところです。そして、こうしたことが母語である日本語の可能性をさらに広げる契機になり得るのは、数多の翻訳文が明治以来──いや、有史以来と言ったほうがよいかもしれません──日本語の豊穣化に果たした役割を考えるだけでも、想像に難くありません。

 無論、これは英語学習の効用というよりも外国語学習一般の効用なのですが、上で言及したような現実的な環境からすれば、とりあえず英語学習によって代表させても強引過ぎはしないでしょう。そして、私が考えるに、こうした英語独自の「論理」を、単に大学受験生のみならず日本語を母語とする人一般をして、理解せしめる助けとなる解析エンジンこそ、横山雅彦氏の提唱する「ロジカル・リーディング」ではないかと思います。

 実は、私は、横山氏が予備校講師としてのキャリアを開始した四半世紀ほど前、東京町田の予備校での同僚でした。横山氏がそこで速読の授業を担当された際、読解の基礎としたのが、「クレーム/データ/ワラントの三角ロジック」でした。以来彼は、それを解析エンジンとしてたゆまず改良し洗練し「ロジカル・リーディング」へと発展させてきたのですが、当初より一貫して目指してこられたのは、上のような英語独自の「論理」を如何にして理解するか、そしてそれを如何にして日本語話者に理解してもらうか、ということでないかと思います。私自身、予備校の講師控え室や近くの蕎麦屋などでの横山氏との会話から多くのことを学ばせてもらい、それらは私の現在の仕事に──英語で書く時だけでなく、日本語で書く時にすら──生かされていると感じています。

 こうした経験からも、ひとりでも多くの人に、横山氏の方法を是非試してもらいたい。きっと、英語の「論理」を理解することができるようになるでしょう。いや、もっと欲張って言うなら、それを通じて、我々の日本語環境をして、他者を意識したもっと開かれたものへ、批判的思考のための環境としてもっと優れたものへ発展させていくことに、みなさんそれぞれが貢献していただけるなら、とても素晴らしいことだと思います。

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